六十九次
のうち
五十六宿

岐阜県本巣郡巣南町  美濃国  樽見鉄道美江寺駅下車

「美江寺宿」巻は、谷汲山街道道標」、「まくわうり」発祥の「真桑村」、「美江寺一里塚跡」
「端光寺句碑群」、「自然居士の墓」、陶器の狛犬がある「美江神社」、「高札場跡」、
道山に岐阜へ持っていかれた「美江寺観音」、庄屋屋敷「和田家」、
数年前に立て替えられた「本陣跡」、「美江寺城跡」、美江寺宿西口の「道標」と「千手観世音堂」
自然居士が千躰彫った「千躰堂」、公共工事で「消えた中仙道」などを
GPS位置情報
と共に、ご案内します。

       

「中山道」五六川」を渡って1800mほど西へ行くと「美江寺宿」
入り口にある樽見鉄道の踏切を渡りす。

そこが「美江寺宿」の入り口です。

美江寺宿入口樽見鉄道踏切  
北緯 35度24分31.4秒  東経 136度39分50.3秒

この付近はところどころに「中山道」の標識があります。

「美江寺宿」入り口の樽見鉄道「樽見線」踏切

美江寺宿概要
(詳しくは中山道美濃路十六宿後編「美江寺宿」でどうぞ)

谷汲山参道道標 本巣郡巣南町美江寺  
北緯 35度24分31.3秒  東経 136度39分48.9秒

谷汲参道
 岐阜から赤坂までの中山道で北に向かう街道があれば、それはほとんど谷汲参道と言ってもかまいません。 びっくりするほどの参道が谷汲を目指しています。 ここ赤坂宿の入り口の路傍にも「北方 谷汲ニ至ル」の道標があります。今から千二百年前からの由緒ある参道です。
谷汲の由来

豊臣秀吉時代から重要視された宿場
(詳しくは中山道美濃路十六宿後編「美江寺宿」でどうぞ)

谷汲分岐から二丁ほど進むと美江寺観音があった「美江神社」へ出ます。

美江寺宿 本巣郡巣南町美江寺  
北緯 35度24分30.9秒  東経 136度39分35.5秒

(詳しくは中山道美濃路十六宿後編「美江寺宿」でどうぞ)

宿場の概要

幕領・大垣藩領、 宿高 八百九十八石、 人口 582人、 家数 136軒、 

旅籠 十一軒、 本陣 一軒、 脇本陣 なし、           

合渡宿から 一里六丁(合渡宿一里塚)

赤坂宿まで 二里八丁(美江寺一里塚、青木一里塚) 

「岐蘇路安見絵図」にある「まくわ瓜」の名産地紹介

まくわうり 本巣郡真正町真桑(まくわ)  
北緯 35度25分47.2秒  東経 136度40分07.3秒

 「まくわうり」の名前は此の地方「本巣郡真正町真桑(まくわ)」からが由来と言われています。
 「岐蘇路記」(きそじき=木曽路記)に”美江寺の半里北に真桑村あり此の地より瓜の多く出るところなり・・毎年瓜の時期には江戸へ献上す」とあります。 昔から全国各地で栽培されていましたが、特に此の地方の「まくわうり」が香りが良くて風味が優れ、美味しいと評判になり、宮廷や将軍にも献上されていたそうで、自然に此の呼び名になったと言われています。

美江寺宿の始まり
 (詳しくは中山道美濃路十六宿後編「美江寺宿」でどうぞ)

宿場内が枡形道
美江寺宿(岐阜県巣南町美江寺)の美江寺神社前の道を200mほど南の枡形辺りと思います。

樽見鉄道の踏切をわたり200mほどに「美江寺一里塚跡」があります。

美江寺一里塚跡 本巣郡巣南町美江寺  
北緯 35度24分30.7秒  東経 136度39分43.1秒

民家とガレージの間に「美江寺一里塚跡」碑が建っています。

中山道の両側とも大正時代に開墾され宅地になったため
「一里塚」の名残もなく民家になっています。

「一里塚碑」の立つ東の信号機のある路地を北に入ると「瑞光寺」があります。

瑞光寺句碑群 本巣郡巣南町美江寺七軒町  
北緯 35度24分34.3秒  東経 136度39分44.0秒

瑞光寺は浄土宗西山派の寺院で、美濃派獅子門 
第九世道統山本友左坊の菩提寺です。細い路地を200mほど進むと広い道に出まると「瑞光寺」があります。
「瑞光寺」は本陣当主の菩提寺
「瑞光寺」は美濃派獅子門第九世道統で、美江寺宿の本陣兼問屋場だった山本家の山本友左坊の菩提寺です。

「友左坊」の墓も境内にはあります。
(詳しくは中山道美濃路十六宿後編「美江寺宿」でどうぞ)

中山道に戻り200mほど西へ進むと「自然居士之墓」碑があります。

自然居士之墓 本巣郡巣南町美江寺七軒町  
北緯 35度24分33.2秒  東経 136度39分41.7秒

自然居士の生立ち
自然居士は和泉の国(大坂府)日根郡自然田村で生まれ、臨済宗南禅寺大明国師(1212〜1291)に師事し、鎌倉後期(1300年頃)の禅僧と考えられるが生没年月ははっきりしません。「自然居士」は和泉国(大坂府)生まれの鎌倉後期の禅僧で美江寺に滞在し、千躰仏を作り、この地で没しました。

どれが自然居士に墓?
(詳しくは中山道美濃路十六宿後編「美江寺宿」でどうぞ)

中山道をさらに西へ100mほど進むと、街道は「美江神社」の鳥居へ出ます。
ここを左(南)へ中山道は曲がります。

信号から真っ直ぐに延びる道は大正時末期に作られた道で宿場にはありませんでした。

「美江寺宿の枡形」へ出ます。

美江神社 高札場跡 本巣郡巣南町美江寺  
北緯 35度24分30.9秒  東経 136度39分35.5秒

宿の中央に当たる曲がり角に神社はあります。
創建年は不詳ですが熊野三所大権現が祀られ、かっては権現様と呼ばれていたそうです。神社の入り口付近には「高札場」があったそうです。

伊賀の国から十六条村へ
 美江寺観音は養老年間(717〜724年)に勅願所として建立されました。
各時代の守護に厚い保護を受け盛時には二十四坊を数えました。

道三に持ち去られた観音様
(詳しくは中山道美濃路十六宿後編「美江寺宿」でどうぞ)

美江寺観音 本巣郡巣南町美江寺  (美江神社境内)

美江神社の境内
養老三年(719年)に美濃遷都を考えていた元正天皇が伊賀寺の
十一面観音像を移したのが開祖です。
 その後、斎藤道三に持ち去られた観音の代わりに、宿の人々が互いに金を出し合い再建した、観音様です。
観音石
観音様の姿をした石も境内にあります。

蔵から出てきた観音像
(詳しくは中山道美濃路十六宿後編「美江寺宿」でどうぞ)

庄屋屋敷「和田家」 本巣郡巣南町美江寺  
北緯 35度24分30.1秒  東経 136度39分34.3秒

美江寺宿の古い家並み
 今も古い家並みが往時の面影を残しています。
庄屋屋敷は「美江神社」前の枡形角にあります。江戸時代
 
「中山道」が整備されると近世宿場制による駅伝業務を担当する宿場となり発展しました。

五十四宿発足
 寛永十四年(1637年)四月 駅伝役家と歩行役家、各々二十五軒を定めて問屋の支配下に置き交通業務の公式開設に持ち込みました。
旅籠
 一般旅人のための旅籠や茶屋は年代によって増減はありますが宿場の位置からして経営は苦しかったようです。

「本陣」
 (詳しくは中山道美濃路十六宿後編「美江寺宿」でどうぞ)

本陣跡  本巣郡巣南町美江寺  北緯 35度24分24.6秒  東経 136度39分33.8秒

初代は問屋「金兵衛」が管理
寛文九年(1669年)に加納藩主によって建設され、問屋「金兵衛」が管理したそうです。以来「山本家」が世襲で経営管理に当たってきたそうです。
濃飛震災で宿場は全壊
寛永年間には「伝馬役」と「徒歩役」各々二十五軒を定め問屋「山本家」の支配下に置き駅伝業務をした記録が残っています。

宿場制度による駅伝業務再開
(詳しくは中山道美濃路十六宿後編「美江寺宿」でどうぞ)

開蒙学校跡  北緯 35度24分24.6秒  東経 136度39分33.8秒

開蒙学校跡 本陣跡の向かいにあります。

濃尾震災
 明治二十四年の濃尾大地震で酒屋一軒を残し全壊してしまいました。
 現在の建物はそれ以降の建物だと思われます。

美江寺城跡 本巣郡巣南町美江寺  
北緯 35度24分26.8秒  東経 136度39分36.7秒

美江寺城跡は巣南町中(なか)小学校にあります。校庭の西隅に模擬城壁と碑があります。戦国時代の美濃守護職「土岐氏」の武将だった「和田氏」の居城跡で、
「斎藤道三」に攻められ、天文十一年(1542年)に灰燼に帰しました。

美江寺城跡
(詳しくは中山道美濃路十六宿後編「美江寺宿」でどうぞ)

 

美江寺宿西口道標 本巣郡巣南町十七条 
 
北緯 35度24分19.7秒  東経 136度39分34.7秒

「美江神社」から南へ400mほどの「T字路」に道標があります。

真っ直ぐ南が大垣、墨俣へ、西が「赤坂宿」です。

宿場は終わり
 家並みも三丁ほどで途切れ道は西に曲がります。
 真っ直ぐは大垣道。

大化改新の「条里の里」  北緯 35度23分秒  東経 136度37分秒

大化改新の「条里の里」
 このあたりは今でも十七条と当時の名残が残っています。

中山道は西の「呂久(ろく)の渡し」

「道標」から100mほどで観音堂に出ます
途中に「中山道」の案内板があります

美江寺千手観音堂 本巣郡巣南町十七条  
北緯 35度24分18.1秒  東経 136度39分31.1秒

 

観音堂のを過ぎるとすぐに「犀川」(さいかわ)の「新月橋」(しんげつ)を渡ります。

昔はよく氾濫した「犀川」

100mほど西に進むと中山道は突き当たりに出ます。

千躰堂(千躰寺) 本巣郡巣南(すなみ)町新月  
北緯 35度24分17.9秒  東経 136度39分26.3秒

三つ目の枡形に「千躰堂」(千躰寺)があります。

「自然居士」の千躰仏は、この「千躰寺」に安置されています。

「自然居士」は和泉国(大坂府)生まれの鎌倉後期の禅僧で美江寺に滞在し、 千躰仏を作り、この地で没しました。

祠の前を南に曲がり西にカーブしながら犀川と平行に進むと「神明神社」があります。

神明神社 本巣郡巣南(すなみ)町田之上 
北緯 35度23分11.8秒  東経 136度39分22.7秒

このあたりは昔、松並木だったそうです。

さらに600mほど進み長護寺川に当たり右折し、「県道156号線」に出ます。

県道156号線合流点  
北緯 35度23分59.4秒  東経 136度39分13.2秒

画面左の建物(巣南中学)前から「県道156号」へ

「県道156号」を南へ150mほどで民家風の交番があります。
そこを右折(西へ)。

50mほどで左折すると中山道へ
(最近道路工事で中山道が一部消えています)

消えゆく中仙道 本郡巣南(すなみ)町大月  
北緯 35度23分52.0秒  東経 136度39分10.7秒

左折したあとは真っ直ぐに堤防へ向って進むと「揖斐川」へ出ます。
橋は県道156号線に架かる「鷺田橋」(さぎた)です。

 堤防から振り返って見る「中山道」

呂久の渡し跡付近(東側)  
北緯 35度23分35.9秒  東経 136度38分50.0秒

(東側)
 天正時代、織田信長が岐阜に在城し、天下統一ため京に近く交通の要衝である近江の安土城

 に居所を移した頃から美濃と京都の交通が頻繁となり、

 赤坂−呂久−美江寺−河渡−加納の新路線が栄えるようになりました。

鷺田橋  本巣郡巣南(すなみ)町大月  
北緯 35度23分28.5秒  東経 136度38分49.6秒

呂久の渡し(西側)

 天正時代から栄えた街道は江戸時代の初期に整備されて五街道の一つ中山道となり、この呂久の渡しも、それ以来
 交通の要所となりました。

対岸の渡し付近は大垣市でなく巣南町のままです。

対岸へは先ほどの「鷺田橋」を渡ります。

この付近紹介  北緯 35度23分秒  東経 136度37分秒

富有柿発祥の地
 甘柿の中でもっとも味がよいと言われていますが、その発祥地は巣南町居倉。
 今でもその原木が残っています。
神様・川崎平右衛門 保住町一円を治めた本田村陣屋の代官で、牛牧(うしき)閘門(きもん=水門)を築き五六川沿いの村々を水害から守り、のちに神として祀られました。

次のページは「皇女和宮記念公園」(呂久の渡し跡)へ進みます。

       


[PR]背中ニキビケア:29日間でスベスベ背中の秘密