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岐阜県加茂郡坂祝町 美濃国 JR高山線坂祝駅下車 |
「岩屋観音」巻は、「大まや湊跡」、「取組一里塚跡」、「勝山港跡」、「岩屋観音道」、
「岩屋観音堂」、昭和34年まで使われた「栗栖の渡し跡」などを
GPS位置情報と共に、ご案内します。
「太田宿」を出て国道21号線を210mほど西に向かうと
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大まや湊跡 加茂郡深田町辺りです |
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下流(木曽川側) |
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大まや湊跡から150m程西へ向かうと坂祝神社碑があります。
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坂祝神社
加茂郡坂祝町酒倉 |
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本殿は北へ1,300mほどの山麓にありますが、参道は高山本線建設や農地整備などで
見る影もなくずたずたにされています。
地図がなければたどり着くことができません。
坂祝神社碑から西へ木曽川沿いに1,120mほど進むと左側に取組一里塚標識が立っています。
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取組一里塚跡 加茂郡坂祝町取組 |
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坂祝役場近くのパジェロ製造工場西の川のふちにあります。 国道21号線 向こうが「パジェロ製造工場」 |
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取組一里塚から更に860m程進むと右側に寶積寺碑が立っています。
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寶積禅寺
加茂郡坂祝町池田 |
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寶積禅寺から西へ90m進むと石垣の上に石仏があります。
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寶積禅寺の石仏
加茂郡坂祝町池田 |
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文化十四年丁丑(ひのとうし=1817年)と元禄八年乙亥(きのとゐ=1695年)の年号が |
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更に740m進むと、かっての勝山湊跡があります。
此処からは燃料に使われる「薪」が積み出されました。
今は、勝山交差点に道しるべが唯一の名残です。
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勝山港跡 加茂郡坂祝町勝山 北緯 35度25分13.9秒 東経 136度58分23.2秒 |
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これから下流の鵜沼境辺りが険しい山道になるので、 近郷の年貢米も運ばれていましたが、 |
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勝山道標 加茂郡坂祝町勝山 北緯 35度25分14.7秒 東経 136度58分20.9秒 |
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この「勝山」に道標があります。ここから街道は鍛冶屋の多い関、和紙の産地の上有知(美濃市)へと向かいます。道標は二つに割れセメントで繋いであります。石碑はかなり埋っていて全文が判読できません。 |
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木曽川の流れが見えなくなった中山道 加茂郡坂祝町勝山 |
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少し前までは国道と堤防が同じ高さでしたが、堤防補強で |
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勝山から480mほど中山道(国道21号線)鵜沼境に近づくと
堤防も昔通りとなり山と川が迫ってきます。
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岩屋観音道入り口 加茂郡坂祝町勝山 |
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大きな岩が木曽川に迫り当時の技術では街道が出来ないので川から岩山の上を通り向こうまで道が作られました。道中の安全を祈って岩の上に観音様が祭られました。今では重機で岩を取り除き国道21号線が走っています。中山道は岩の上の柵の向こうを通っていました。国道を右へ反れると岩屋観音への道があります。 |
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「岩屋観音」上り口に立場があり、赤飯を三角の形に入れて、抜いた
三角強飯が此処の茶屋の名物でした。
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北緯 35度24分秒 東経 136度57分秒 |
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岩屋観音への入り口(中山道) 上りかけると標識があります。 振り返るとこれが「中山道」?と思えるような道 |
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皇女和宮が街道拡幅工事 加茂郡坂祝町勝山 |
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江戸末期 皇女和宮が東下にあたり、この「観音坂」も拡幅されました。 |
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岩屋観音堂 加茂郡坂祝町勝山 |
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少し下ると岩屋観音があり中山道は観音堂の脇をさらに下ります。 |
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中山道 加茂郡坂祝町勝山 |
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岩屋観音からの下りは石段や急坂で街道とは呼べません。 昔は此処は大きな荷駄が通るのは無理だったと思います。 享保十五年(1730年)に道路改修が行われましたが |
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残された中山道が120mほど国道21号線に沿って走っています。
| 中山道はほんの一部がJR高山線と国道21号線に挟まれ残っています。 | |
「岩屋観音」から中山道は国道21号線を西へ
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昭和34年まで使われた栗栖の渡し跡 加茂郡坂祝町勝山 北緯 35度24分42.2秒 東経 136度57分46.6秒 |
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岩屋観音を過ぎ数百米行くと、また岩山が木曽川に迫ってきます。 この食堂辺りに「栗栖の渡し」がありました。
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次は、いよいよ「うとう坂」です。
木曽川に岩山が迫り道が切り開けないので、山を越えて「鵜沼宿」へ抜けるので