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六十九次
のうち
五十二宿

岐阜県美濃加茂市美濃国JR高山線美濃太田駅下車

「太田宿」巻は、「太田東口道標」、「祐泉寺」、「火伏せ観音」、「播隆上人墓」、
「小松屋」、「脇本陣」林家」、「本陣跡」、「御代桜」、「長屋門」、「高札場跡」、
「代官所跡と坪内逍遥生家跡」、「逍遥公園」、「太田西口」、「兼松風碑」
などをGPS位置情報と共に、ご案内します。

         

太田宿

宿場の概要

尾張藩領、 宿高 二千石、 人口 500人、 家数 118軒、 

旅籠 二十軒、 本陣 一軒、 脇本陣 一軒、           

伏見宿から 二里(上恵土一里塚、土田一里塚のちに古井一里塚)
  
お詫び:上恵土一里塚は
「岐蘇路安見絵図」にあるものをとりあえず仮名で掲載、調査中

鵜沼宿まで 二里(取組一里塚、うとう峠一里塚)

太田宿は尾張領

太田宿は美濃国ですが交通の要衝でしたので尾張領でした

「太田の渡し」から木曾川沿いを下り枡形の道を通り国道21号線へ出ると、
そこが中山道飛騨高山道善光寺道の追分です。

太田宿東道標  美濃加茂市古井(こび)町下古井  
北緯 35度26分12.4秒 東経 137度01分34.6秒

西方向は右国道21号線と左「中山道」に分かれます。

東方向 右「善光寺道」 左「飛騨高山道」に分かれます。
道標脇の無粋な消火器箱が目印です。

宿場
(詳しくは中山道美濃路十六宿前編「太田宿」でどうぞ)

太田宿東道標から250m程進むと左側に播隆上人銘号碑があります。

元町の法華経塚 美濃加茂市元町
北緯 35度26分06.0秒 東経 137度01分12.6秒

中山道太田東口道標から西へ400m程行くと左手に火伏せ観音があります。

太田稲荷美濃加茂市太田本町1丁目
北緯 35度26分06.0秒 東経 137度01分12.6秒

観音様境内には槍ヶ岳、
笠ヶ岳開祖の播隆上人や
日本ライン命名者の
志賀重昂氏の墓もあります。

播隆上人の墓  
北緯 35度25分秒 東経 137度02分秒

 

日本ライン命名の志賀重昂の墓  
北緯 35度25分秒 東経 137度02分秒

 

太田の地で亡くなった播隆上人  
北緯 35度25分秒 東経 137度02分秒

 槍ヶ岳と播隆上人
天明6年、越中に生まれた播隆は、生涯のほとんどを一介の
苦行僧として過ごしました。
 混濁の世俗を捨て仏門に入ったはずの彼だが見たものは、やはり俗会同様のみにくい風潮がみなぎる宗門の内情でした。
 深山霊谷での修行に入った播隆は、やがて槍ヶ岳開山の
悲願を抱くことになります。
 天を突き刺すよう鋭峰の頂きに、清浄静寂な極楽浄土への
道を発見したのでしょうか。
 前人未踏の3,180メートルの高峰―――。僧・播隆が初めて槍ヶ岳を望見したのは、文政6年(1823)頃のことと思われます。
 飛騨山脈の霊峰・笠ヶ岳登山を試みた播隆上人は、群山を圧してひときわ高くそびえる槍ヶ岳頂を眺め、その霊感に打たれ魅せられたのでしょう。

火伏せ観音から80mほどで枡形にちかいクランクに出ます。
その左が「祐泉寺」です。

祐泉寺  美濃加茂市太田本町1丁目  
北緯 35度26分05.8秒 東経 137度01分10.5秒

500年の歴史を持つ臨済宗の古刹です。街道がわの入り口に碑があります。山門は裏の堤防側にあります
祐泉寺
祐泉寺は臨済宗妙心寺派で天明六年(1474年)の建立。
ご本尊の聖観音菩薩は、
7年目のご開帳の時しか拝見できません。
静かな境内には松尾芭蕉、北原白秋、坪内逍遥、などの歌碑や数多くの石仏が並んでいます。
槍ヶ岳を開山した播隆上人の墓碑や
日本ラインの名付け親の志賀重メの碑もあります。

境内には滝場観音又の名「火伏観音」

 滝場観音は宿場の大火事でも焼失せず「火伏観音」としてあがめられています。

堤防上から見た「祐泉寺」全景

祐泉寺の西隣(10m)に太田宿資料館を兼ねた無料休憩所があります。

小松屋  美濃加茂市太田本町2丁目  
北緯 35度26分05.8秒 東経 137度01分08.1秒

入場無料の太田宿案内所です。 旧小松屋(吉田家住居)です、大田宿案内帖など各種の地図や案内書などが無料で多数用意されています。中は広く昔しのままで古い道具などが陳列されています。旧小松屋の開店時間…火〜日曜日の午前8.30分〜午後5.00まで。休店日:月曜日

小松屋から140m程で本陣「福田家」から酒造権を譲受けた「御代桜」酒造があります。

御代桜醸造  美濃加茂市太田本町3丁目  
北緯 35度26分06.1秒 東経 137度01分01.3秒

脇本陣の筋向いにあります。
江戸時代は茶屋と酒の販売を営んでいました。

明治に入り、旧本陣の福田家から酒造権を譲り受け醸造をはじめました。

御代桜酒造の前の道を南へ入ると太田公民館があります。
そこには中山道散策用の公衆トイレが用意されています。

太田公民館公衆トイレ  美濃加茂市太田本町3丁目  
北緯 35度26分06.1秒 東経 137度01分01.3秒

「御代桜」酒造から40m程の向かいに脇本陣があります。

脇本陣  美濃加茂市太田本町3丁目  
北緯 35度26分05.8秒 東経 137度01分59.0秒

江戸時代の原型をとどめる数少ない脇本陣です。
庄屋や尾張藩勘定所も務めた林家の住居で現在も表札が下がっています。間口二十五間(45m)、土蔵10棟、馬屋3棟、
現在の建物は明治6年の大火のあとに建てられました。

国指定重要文化財 旧太田脇本陣「林家住宅」
  (詳しくは中山道美濃路十六宿前編「太田宿」でどうぞ)街道沿いの美味しい食事処紹介

  脇本陣から40m程の北側に本陣跡があります。

本陣跡  美濃加茂市太田本町3丁目  
北緯 35度26分06.3秒 東経 137度01分57.4秒

本陣は福田家が代々務め、間口21間、奥行き22間。
北側には堀もめぐらせ、垣根もめぐらせていました。

本陣は現在門しか残っていません。

「本陣跡」を西へ50m進むと街道沿いの美味しい食事処紹介うなぎ屋「山水」があります。

うなぎ屋 山水  北緯 35度26分06.1秒 東経 137度00分55.7秒

うなぎの美味しい「山水」。街道沿いでは有名です。

   街道沿いの「うなぎ屋山水」の角を回ると奥に70m程に長屋門があります。

長屋門 美濃加茂市太田本町4丁目 北緯 35度26分04.4秒 東経 137度00分54.2秒

座間家の総桜材の長屋門

この長屋門は中町にある元太田町長の林五郎宅で現在は座間家の住宅で、長屋門は総桜材で造られた貴重な建築物ですが、多くの部分がトタンで囲われ見る影もありません。建築は嘉永元年(1848年)母屋と玄関が残されていましたが
最近、母屋も建て直されたようです。古い建物は独力での保存は難しいのかもしれません。

長屋門を更に20mほど進むと堤防へ出ます。
そこに舟番所跡があります。

舟番所跡

美濃加茂市太田下町二丁目

北緯

35

26

04.4

東経

137

00

54.2

 

うなぎ屋「山水」から140m程西へ進むと「高札場跡」へ出ます。

高札場跡、枡形道 美濃加茂市太田本町4丁目
 北緯 35度26分06.1秒 東経 137度00分50.9秒

レプリカの道標

右 関、上有知 左 西京 伊勢

高札場説明と道標

高札場跡の枡形の北へ70mの道奥に「西福寺」があります。

西福寺

美濃加茂市太田本町4丁目

北緯

35

26

06.1

東経

137

00

50.9

 

中山道は高札場前の枡形を南へ回り70m程進むと秋葉神社と庚申堂があります。

枡形道の
庚申堂と秋葉神社

美濃加茂市太田本町4丁目

北緯

35

26

06.1

東経

137

00

50.9

   

中山道は秋葉神社から60mほど進み枡形道を西へとり
国道41号線の下を通り「太田小学校」前へ出ます。

公道41号線下をくぐり真直ぐに70mほど太田小学校生垣まで進むと
そこが代官所跡で役所長屋が坪内逍遥生家が在った所です。

代官所跡、坪内逍遥生家跡 美濃加茂市太田本町5丁目 
北緯 35度26分00.9秒 東経 137度00分44.3秒

中山道沿いの「太田代官所」が今は太田小学校尾張藩の代官所が置かれ恵那から鵜沼までの約5万4千石の村々を統括していました。
代官所の役宅も此処にあり、坪内逍遥は此処の役宅が生家でした。逍遥の父は代官所手代で、構内には「逍遥山つばきの部屋」があり、校庭の一部が「逍遥公園」となっており、顕彰碑もあります。

太田小学校校門前の妙見堂の境内に播隆上人の銘号碑があります。

太田小学校前の播隆上人銘号碑 美濃加茂市太田本町5丁目 
北緯 35度26分00.9秒 東経 137度00分44.3秒

太田小学校東側の道を北へ250mほどの正門へ回ると「逍遥公園」が整備されています。

逍遥公園 美濃加茂市太田本町5丁目 
北緯 35度26分08.5秒 東経 137度00分45.2秒

太田小学校正門脇の逍遥公園
坪内逍遥は安政六年(1859年)、尾張藩太田代官所の手代であった平之進の10人兄弟の末子としてこの地で誕生しました。逍遥の幼年時代は幕末動乱期の真っ只中にあり、剣術の稽古や兵法の訓練に明け暮れ、学問の出来る雰囲気ではなかったが枯れは母や兄から絵草子、百人一首、漢書を習い、文学的素養を実につけました。

中山道は太田小学校の手前で西へ曲がリます。そこに下町弘法堂「虚空蔵菩薩堂」があります。

虚空蔵菩薩堂 美濃加茂市太田本町5丁目 
北緯 35度26分01.0秒 東経 137度00分46.4秒

「大井戸の渡し跡付近」と「承久の乱・木曾古戦場付近」の標識
坪内逍遥ゆかりのムクノキ
坪内逍遥(1859〜1935年)は安政六年、尾張藩太田代官所の役人であった平之進の10人兄妹の末子として生まれました。その後、明治二年に父の引退とともない、太田を離れた逍遥は、名古屋に移り住み風雅な中京文化の感化を受けました。十八歳にして上京し、明治十六年東京大学を卒業すると、文化論「小説神髄」や、小説「当世書生気質」などを発刊し、明治新時代の先駆となりました。

虚空蔵菩薩堂境内の片隅にある道標 
北緯 35度25分秒 東経 137度00分秒

虚空蔵菩薩境内に「左 大坂京」の道標があります

中山道は下町観音堂前を通り堤防へ上がった道でした。

中山道の西口は? 北緯 35度26分00.5秒 東経 137度00分46.1秒

加茂郡太田村家並絵図によりますと

太田代官所(現鵜沼小学校)前の虚空蔵菩薩堂(現存)から
中山道は左に折れて堤防に向っています。
絵図にはそこから、「至 勝山、鵜沼」とあります。

中山道は虚空蔵菩薩堂前を枡形にまわり堤防上へ上がる

中山道は木曾川沿いに西へ  
北緯 35度25分秒 東経 137度00分秒

左に木曾川を見ながら西へ向います。
堤防改修で当時の中山道とは多少違うでしょうが、ほぼこのルートで
大まや湊(加茂郡坂祝町深田)辺りまでたどったことでしょう。

堤防上の道を西へ370m程向うと堤防下に「深田神社」と「河北山 芳寿寺」が見えます。

深田神社 芳寿寺 美濃加茂市深田町3丁目 
北緯 35度25分54.8秒 東経 137度00分33.8秒

 深田神社

河北山 芳寿寺 

中山道は深田神社前の道を西に80m程進み国道21号線と合流します。

21号線へ出たところに「深田神社」の道標があります

深田神社正面の堤防上にある塚

兼松嘯風塚 美濃加茂市深田町3丁目 
北緯 35度25分50.5秒 東経 137度00分31.8秒

兼松嘯風(かねまつしょうふう)塚

中山道は国道21号線と合流して200m程の「深田」交差点付近が
美濃加茂市と坂祝(さかほぎ)町の境です。

行政区域

「美濃加茂市」から「加茂郡坂祝町」へ

美濃加茂市深田町

加茂郡坂祝町

ここまで、美濃加茂市御門町から2.2km      
長野県境から58.8kmです。  

更に中山道を西へ210m進むと大まや湊跡へ出ます。

さて次はちょっと寄り道をして柿の名産地「蜂屋」

       


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